「東日本大震災を予言した漫画家」として一躍注目を集めた、たつき諒さん。1999年刊行の漫画『私が見た未来』の表紙に《大災害は2011年3月》と記されていたことが、震災後に”的中した”と話題になりました。その後に出版されたのが、今回ご紹介する『天使の遺言』です。
『私が見た未来』の続編というわけではありませんが、根っこにあるのは同じ問い。
「夢で見た未来を、どう伝えるべきか」。前作を読んでいた人ほど、この『天使の遺言』に「2025年7月の大災難」という記述を見つけたとき、胸がざわついたのではないでしょうか。当時、どれだけの人が不安を抱えながらあの7月を迎えたことか。
幸い、7月は何事もなく静かに過ぎ去りました。でも…半年ほど経ったいま改めて読み返してみると、「はずれた本」として棚に戻すだけでは、もったいない気がしてくるんです。

竜樹諒『天使の遺言』とはどんな本?
東日本大震災を”予言した”と話題になった元漫画家・たつき諒さん。1999年刊行の漫画『私が見た未来』の表紙には《大災害は2011年3月》と記されていて、後に”的中した”と注目を集めました。
ただ、一点気になることがありました。竜樹さん自身が「夢に出てきた津波は、半袖で過ごせるような暑い季節だった」と語っているんです。2011年3月といえば、まだ肌寒い時期。季節が一致していません。つまり、夢に出てきた津波は東日本大震災とは別の出来事を指していた可能性があって、表紙の日付も「締め切り直前に思い浮かんだ」という制作上の理由で入れた……という経緯があります。
偶然の一致なのか、それとも…。読んでいると、そういう「わからなさ」が静かにまとわりついてきます。
今回の出版で竜樹さんが伝えたかったのは、「真実を伝える役割」だと本人が語っています。学者や専門家が「警告しても誰も動かない」と感じていた中で、関係者からオファーが届いたのだと。
「2025年7月5日」は何だったのか
『私が見た未来 完全版』には、フィリピン近くの海底が突然噴火し、太平洋沿岸を東日本大震災の3倍規模の津波が襲う——という夢が記されています。その日付として「2025年7月5日」が注目されていました。
ただ、たつきさん自身は「夢を見た日が起点になるかもしれない」と述べていて、その日に必ず何かが起きるとは断言していませんでした。実際、7月5日は何事もなく過ぎた。
「はずれた」といえばはずれです。でも私は、この本を読んでから自分の行動が変わりました。それだけは確かなことで。
夢の記述と、過去の出来事との”一致”
本の中には他にも気になる夢の記述がいくつかあります。
📖『私が見た未来 完全版』より——「地下鉄のようなところで、大勢の人が苦しんでいる夢を見た」「透明な気体のようなものが充満し、人々が倒れていく」。これが1995年3月の地下鉄サリン事件に似ているという声があります。
🦠 また別のページには、「人々がみんなマスクをして不安そうな顔で街を歩いている」光景を夢で見たという記述も。新型コロナウイルスの流行と重なると感じた読者も多かったようです。
もちろん、後からこじつけた見方にすぎないかもしれない。そこは冷静に受け止めつつも、完全に無視できない何かが、この本にはある気がします。
「大災害」と「大災難」——この言葉の使い分けが深い
読んでいて特に引っかかったのが、言葉の使い分けです。
2011年3月の出来事は「大災害」。2025年7月は「大災難」と表現されていました。
大災害は、地震や津波など広範囲にわたる自然の被害を指す客観的な言葉。大災難は、自分や身近な人に降りかかる不幸を指す、どちらかというと感情に寄り添った表現です。
出版社のプロが、この2語を書き間違えるはずがない。とすれば、意図的に使い分けているわけで——「来るかもしれない大きな自然災害(大災害)を知って備えることで、自分たちにとっての大災難を避けられるかもしれない」というメッセージなのかな、と私は読みました。
それに、「海の底からボコっと盛り上がる」という描写……まさかとは思うけど、自然発生じゃない可能性も頭をよぎったりして。考えすぎかな。
タイトルに込められた意味——なぜ「遺言」なのか
何度か読み返すうちに、タイトルの意味がじわじわ見えてきました。
「天使」はおそらく竜樹さん自身のことを指しているのではないか——そう感じます。では「遺言」とは?
前作『私が見た未来』では「未来」という言葉が使われていた。でもこの本では「遺言」。残される者への言葉、という意味にとれる。本の後半に、百年に一度しか咲かないという龍舌蘭(リュウゼツラン)についての描写がさらりと書かれています。それが余計にモヤモヤするんですよね。
SNSでは2025年、全国各地でリュウゼツランの開花報告が相次ぎました。香川県・小豆島、三重県志摩市、横浜市金沢区、藤沢市・江の島、千葉県市原市、東京・伊豆大島など。百年に一度という花が、あちこちで同じ年に咲いた——偶然かどうか、判断はみなさんに委ねます。
「はずれた」けれど——この本が私に残したもの
2025年7月は何も起きなかった。それは良かった、本当に良かった。
でも、この本を読んで動いた自分がいます。モバイルバッテリーをポチり、簡易トイレも買いました。下着やTシャツをジップロックに仕分けして、枕元にスリッパを置いた。……家族には「心配しすぎや!」と言われましたが。
備蓄用の水は家族にどんどん飲まれ、非常用スリッパはなぜか土間で日向ぼっこをしていました。もうツッコミどころ満載です(笑)。
でも、それでいいと思っています。何も起きなかったから「備えが無駄だった」にはならない。そう気づかせてくれたのが、この本だったと感じています。
本が教えてくれた「まず水を確保せよ」
著書の中で竜樹さんが強調しているのが、「災害時はまず水の確保を最優先に」という点。復旧には時間がかかります。泥水は飲めない。だから清潔な飲み水を日頃から備えておくことの大切さを、改めて考えさせられました。
もう一つ、個人的に大事だと思うのが「情報を得る手段」の確保です。停電になってもスマホが使えるよう、モバイルバッテリーを持っておくこと。できればラジオも。状況を把握できるだけで、パニックになりにくい。

本を読んだあと、まず簡易トイレとモバイルバッテリーをAmazonで注文しました。防災リュックの中身を見直すきっかけにもなりましたよ。
ソーラー&手回し発電対応のモバイルバッテリーが心強い
停電が長引いたとき、コンセントが使えないと普通のモバイルバッテリーもいずれ尽きます。ソーラーパネル+手回し発電に対応したタイプなら、太陽が出ていれば充電できる。これが思った以上に安心感をくれます。
実際に届いてみると、思ったよりしっかりしていてお値段も手頃。ライトも付いていて、夜間の避難にも使えそうです。




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詳しい使用感はこちらの記事にまとめています。


そのついでに——久しぶりのラーメンが最高だった話
7月を迎える前、「気になることは今のうちに済ませておこう」という気持ちになって、ちょこちょこ行動に移していました。その流れで「あ!絶対あれ食べておこう!」と、お気に入りのラーメン屋さんへ。
久しぶりに行ってみたら、器も値段も変わっていた。でも味は変わらず、最高においしかった。播州ラーメンはいろんなお店で味が違うけれど、結局「ここが最強」って思ってしまいます。


なんてことないことだけど、こういう「あたりまえの日常」を大切にしようと思わせてくれた、そのきっかけのひとつもこの本でした。


まとめ——「はずれた予言の本」で終わらせないために
あの7月は、何もなかった。それは心から安堵しています。
でも「はずれたから読む価値なし」とは、どうしても思えないんです。この本を読んで、水を備えた。モバイルバッテリーを用意した。——それだけのことが動いた。
日本はいつ大きな地震や津波が来てもおかしくない国です。南海トラフ、首都直下、日本海溝——専門家が繰り返し警告しているのに、なかなか「自分ごと」にならない。この本はそのスイッチを押してくれる存在だったと思っています。
備えあれば、憂いなし。
7月が何もなくて、本当によかった。でも、そのまま備えをやめない。そう決めた私がいます。
防災の備えをもう一歩進めたい方へ
家庭での防災準備を一から見直したい方には、こちらの記事も参考になるかと思います。


もうひとつの備え——宝物の写真を、ちゃんと残しておきたくて
水や食料の備えを整えながら、ふと気になったことがありました。古いアルバムに眠っているプリント写真——あれ、もし家が被災したら、全部なくなってしまう。
そう思い立って、スマホアプリを使って古い写真を一枚ずつデータ化して、Googleフォトに上げました。データになって初めて、「ああ、ちゃんと残った」と安心できた気がしました。



500枚以上あった…www


防災グッズを揃えることも大事。でも、取り替えのきかない思い出を守ることも、立派な備えだと思っています。






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